考えてみると、熱を仲介物にしたのが悪いのでは無く、燃料を火で燃やした結果できた「熱」を運動エネルギーなり電気エネルギーなりに変える際の効率があまりに悪いのだろう。
「燃料(例えば薪)」はそのままでは、車を動かす役に立たないから、これを一度「熱」にして、その力強い蒸気を車を回す事に利用するのは、これは仕方の無いことで「熱」のせいにしたら申し訳ない。昨日の「ヘロンの蒸気機関」で、鍋の下で薪が燃えて、上でくるくる車が廻っている。
反対に言うと「熱」しか使いこなせるエネルギーを人類は知らなかったから「燃料(燃えるもの)」を利用した。そして使う燃料としては18世紀に「化石燃料」が一番良いことが分かって、その利用技術を中心に産業革命が起こってそのまま21世紀に至った。
もし「熱エネルギー」以外に運動エネルギーや電気エネルギーに変換して利用出来るエネルギー源なり「方法」を人類が知っていたら、状況は変わっていたと言っても良いかもしれない。
「質量」がエネルギーと等価であることが分かって、1グラムの物質の潜在エネルギーは90 Tera Jouleであることが分かっても、やはり人類は慣れた「熱エネルギー」に一度変えてタービンを廻して電気にする。こうやって考えると、人類に取って「熱エネルギー」に対する「刷り込み」というのは、膨大だったのかもしれないし、他の方法を考えだす天才を人類はまだ得ていないのだろう。
ちなみに、日本国内で1年間に発電された総電力量(=1,097 TWh)は3.95 Exa Jouleに相当すると3日前に書いた。1グラムの物質の潜在エネルギーは90 Tera Jouleであるから、割ると
3.95 Exa Joule/年÷90 Tera Joule/g=44Kg/年
となる。もし効率が100%なら、たった44Kgで日本の1年分の総電力が賄える。原子力発電の「無駄」は、多分火力発電の比では無いのだろう。
で、堂々巡りをいつまでやっていても仕方がない。
「熱エネルギー」から「運動エネルギー」に変換する効率が今時点で一番良いのは「スターリングエンジン」かもしれない。いつ現れるか分からない天才を待っているよりも、少しその方面のことを考えてみたい。