今回、東莞に2泊して感じた事。
- 人手不足
- 相変わらずどこの工場も人手不足のようで、従業員募集の大きな看板を工場の上に掲げている所が多い。
- 「給料2,200元」と書いてある工場があって、かなり驚いて中国の人に聞いたら「毎日9時まで残業して週末も残業すれば手当はそれ位になる。基本給はまだ1,400元ぐらい」との事。
- それでも、行員の給料が毎年15〜20%ぐらいづつ上がって来ており、タイとかベトナムとかに工場を移転するケースがかなりあるそう。
- 会社は給料以外にも、住居(寮)や食事(3食)を全て負担するので、1人にかかる経費はずっと高くなる。
- 今回訪問した工場はフィリピンにも工場があるが、フィリピンの給料が変わらず、東莞の給料が上がっているので、いまやフィリピンの方が安くなったとの事。
- 春節で帰省した行員のうち2〜3割は戻って来ないらしい。
- 停電
- 高速道路を走っていると真新しい送電施設が目につくので、「これらは最近出来たのか」と聞いたら「そうだ」との事。
- 東莞は停電が多い所というイメージがあったが、最近はかなり改善されたらしい。
- 数年前は、なんの連絡も無く突然停電になる事が多かった。
- LEDの道路灯
- LEDの道路灯がかなり増えていた。非常に明るくて奇麗。
- 古い照明の時はうす暗くて人が歩かなかった通りも、LED照明で道路が明るくなって、人が歩く様になったとの事。
- ホテル
WikiPediaによる「東莞」の説明を下記に転載。
東莞市の面積は2465平方キロメートル。南北では50km、東西では70kmほどの広がりがある。人口は750.63万(2005年)。2010年の近郊を含む都市的地域の人口は1,052万人であり、世界第23位である。
珠江デルタの北東部に位置し、古くから莞城鎮(現莞城区)と、水運の要地である虎門鎮を中心に、街が形成されていたが、現在の市域の多くは赤土が広がる貧しい農村だった。しかし、改革開放政策が取られてからは、広州と深圳、香港の中間に位置することから、香港企業、台湾企業の委託加工先や工場建設の好適地として、衣料品、日用雑貨、玩具、電子製品、パソコンまで、重工業以外の各種工場が林立する工業地帯に変貌した。特に、パソコン部品は世界の供給拠点として重要な地位を占める。また、輸出に必要な包装用段ボール箱を製造する、製紙工業もさかんで、中国最大の工場もある。
農業では米の他、野菜栽培が盛んで、香港、広州、深圳などへの重要な供給基地のひとつとなっている。
新石器時代からの遺跡が見つかっており、古来、居住者がいたことが知られている。春秋戦国時代の百越の地であり、南越族が住んでいたと考えられる。紀元前214年、秦の始皇帝が全国を統一すると、南海郡番禺県に属した。後漢の順帝が番禺から増城県を分離させると、東莞も増城県に属した。331年、増城から分離され宝安県となった。757年に東莞と改名し、莞城に役所を置いた。
近代、林則徐が虎門鎮でアヘンを処分したことは有名である。
(@灣仔)